本当に使えるデザインスキルを手に入れよう。

アウトプットに近いインプットを目指そう

「インプットのコツは、どれだけアウトプットに近づけられるか?」単純にアウトプットから始めるのも効果的。上手くいかない所の参考にプロの作品を見る。吸収出来る量が多分変わる。デッサンの観察力も同じ、観る時から作る勢いで観る。「観る」と「作る」を分け過ぎない。モノ作りのコインの裏表だ

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一歩踏み込んだインプットとは

「自分ごと」として世のデザインを見る

インプットが大切だと、今、誰でも言いまよね。勿論、正しいのですけど、少し「言葉足らず」に思います。普通にテレビを見るように、デザインを眺めているだけでは(受け身ですから)濃いインプットとは呼べません。僕が思う「インプット」とは、密度が違っていて、インプットの深さが足りないのです。

例えば、あなたが電車の吊り広告で、心に刺さる広告デザインを見た時、何故そのデザインがそこまで心に刺さったか?その「理由」を考えましょう。

「モデルの笑顔が心に刺さった」…そうかも知れません。でも、少し突っ込んで考えるとモデルの笑顔に、視点がいくような「レイアウト設計」になっていたからかも知れません。一見すると「モデルの笑顔によって幸せを感じた」そんなビジュアルに見えたかも知れませんが、本当は、画面全体で幸せを感じられるような配色になっていたからかも知れません。

ものを作るプロになりたいのであれば、一般の人が感じるレベルから、もう一歩踏み込んで「自分がデザインするとしたらどうする?」と「自分ごと」として、身の回りの全てのデザインをチェックするようにして下さい。きちんと深い所まで潜っていき「何が良かったから自分はこんなに感動したか?」そこまで、突き詰めてる癖をつけることが大事で、それだけで「インプットの価値」は変わってきます。

自分で作るつもりで見ると、今まで見えてなかった事が見えてくる

「自分ごと」として、街中のデザインを見ると言うのは「自分が作るとしたら」と想定して見る事です。

「自分が作るなら、この書体使うだろうか?」と言う入り口から見るだけでも。より深いところからデザインを考えられるようになるものです。例えば電車の、吊り広告で「発泡酒のデザイン」を見て「自分が作るなら、このゴシック体使うかな?やっぱり使うな!何でだろう?」と考えてみるのです。

「カジュアルなイメージ与えたい時、決まってゴシック体が使われてるな?」などという、書体を使う場合の、基本的な共通原則にも気がついたりするかも知れません。また、それから外れたデザインを見る時にも(「金麦」とか)ゴシック体だらけの広告の中で目立つ為、少し高級感出すために、明朝体を使ってるのでは?とか、まるで自分が作っているレベルでデザインを見ていくことが出来る訳です。

「自分で作る」つもりになると、ただ、受け身で見ているよりも「積極的・能動的」にデザインを観察する事が出来るはずです。

 

30歳過ぎてデザイン始めるなら「インプット」の密度を上げる

「美大等、専門的な学校に行っていないけど、プロのデザイナーになりたい」と言う人は、増えてきているように感じます。そういう方達は、既に会社員として、少し働いた後に「やはりデザイナーになりたい」と言うケースが多く、つまりは年齢的に、20代後半〜30歳過ぎてデザインの学習を始める訳で、始めるタイミングとしては、正直、少しばかり遅い訳です。

美大行かなくてもデザイナーにはなれます。それは確かです。でもイメージではなく、事実として、美大だろうが専門学校だろうが、今、プロのデザイナーになっているあなたと同年代の人達は、下手すると10代の頃からデザイナーに憧れ、触れてきた(インプットしてきた)人達が多いです。彼らに比べれば、後からデザインを始めた人は圧倒的にインプットが足りてません。

そうです。デザインを学ぶ時間が足りていないなら、密度を上げ、さを埋めるしかありません。先程、書いたように深く「自分ごと」として作るつもりで見ていくのです。そして、起きている時間で、例えば通勤・通学時間で、少しでも自由になる時間は、全て「インプットの時間」にして、しかも、ただ眺めるインプットではなく、一歩踏み込んだ、能動的で密度の高いインプットにする事を心がけましょう。

アウトプットは勿論大事、でもインプットも密度を上げる事でセンスを磨く砥石になる

コツとしては、インプットを限りなくアウトプットに近づける事です。なので、理想としては、定期的にデザインをアウトプットしつつ、何かそのアウトプットの中で生まれた「わからない部分」を元に、そのヒントを探すべく、身の回りのデザインをインプットする事です。こうすれば、密度が濃いインプットに自然となっていきます。

例えば「余白」が大事だと思って、余白多めのデザイン作ったは良いけど「ただ、寂しいデザインになってしまった、実際に余白使ったデザイン見てみよう!何が違うのかな?」なんてインプットだと、もうアウトプットの一部のようなものですよね。

こんな風にして、インプットとアウトプットの垣根が、なくなるように双方を大事にしていくと良いかと思います。

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