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デザイン史を学ぶ3つのポイント

2019年3月6日 by designdoor Leave a Comment

Contents

  • 1 デザイン史を勉強する理由
    • 1.1 1.「良いデザイン(創作物)は時代を超える」
    • 1.2 2.「良いデザイン(創作)は受け継がれる」
    • 1.3 3.時代に調整されるデザイン
  • 2 まとめ

デザイン史を勉強する理由

どうもkeloです。

如何お過ごしでしょうか。

メルマガの読者の方から「デザイン史を勉強する理由」について質問を頂きました。
質問を下さった方は専門学校で学ばれている学生さんらしくこんなご質問内容でした。

いつもメルマガ有り難う御座います。
〜中略〜
いわゆる「デザイン史」というものについて質問します。うちの学校でも美大同様に「デザイン史」の授業があります。しかし正直この「デザイン史」の授業がつまらなくてたまりません。カリキュラムの時間がない中で、無理に詰め込まれたような?そんな気がしていますし、時間の無駄のように思えてならないんです。keloさん、デザイン史って学ぶ意味があるんでしょうか?過去のことなんか気にしないで新しいデザインをどんどん作っていけば良いんではないでしょうか。個人的には時々過去のデザインでもすごい斬新なデザインなどを見かけることがあって興味が無いわけではないんですけど、どうにも歴史の年表とか出されるとやる気がなくなってしまうんです。

一言で言えば、「デザイン史の授業がつまらなく、をなぜ勉強しないといけないかわからない」という質問のようで、非常に正直な質問だと思います。美大だから専門学校だから、、というわけでなくデザイン史や美術史の授業はつまらなくなりがちです。生徒が興味わくような授業にするのは学校や講師の「腕の見せ所」だと思うのですが、駆け足で、年表だけ追いかけるような授業運びをしてしまう学校も多いみたいです。

断言しますが「デザイン史や美術史」って非常に面白く「デザインのネタの宝庫」でもあるのでこれからデザインを始める方など特に少しでも興味を持ってもらいたいと思います。単純にデザインやってるのにデザイン史学ばないのは損な気がします。

逆に、4年制の美大等であれば時間がそれなりにあるわけですが、教授が何も工夫せずに授業を続けたら、これまた退屈極まりないものになってしまうでしょう。

「デザイン史ってホントにつまらなくて学ぶ必要のないものなのか?」

そういう素朴な問いかけから、デザインの歴史、デザイン史を学ぶことの本質について、少しでも興味を持ってお答えになるようなものを書ければと思います。最後までお付き合いください。

さて、デザイン史の面白さを少しでもわかってもらうために3つのポイントをあげて書いていきたいと思います。
1.良いデザインは時代を超える
2.良いデザイン(創作)は受け継がれる
3.時代に調整されるデザイン
まず、一つ目です。

1.「良いデザイン(創作物)は時代を超える」

はい、これは基本ですね。良いデザインは軽々と時代を超えたりします。当たり前ですが「新しいデザイン」が全て良いわけでもないのです。

この原則がなければ現在デザインの道を志す人間が、わざわざ過去のデザインの歴史に学ぶ意味はありません。今の時代に発表されいてる新しいものの中から良いものだけを見ていけば良い、という事になってしまいますけど、まあそんなわけもないですからね。

例えば、プロダクツデザインで「Mac」を例にとるとしたら、最新のMacのデザインが一番良いか?と言えばそんなこともなく、今でも「初代のi-Mac」のボンデザインの素晴らしさは色褪せる事はないでしょうし、これから先もそうでしょう。あの突き抜けたデザインは、逆に今だからこそ、スマホなどのデザインなどに活かせないものかな?などと僕は思ってしまいます。

それまでほとんど白かベージュの筐体しかなかったパソコンの前にあらわれた、ボンダイブルーのi-Macは、パソコンのデザインを大きく変えましたし、初代i-Mac以降、コンピュータのデザインはどんどん自由になっていったのです。

最近話題になったApple Watchのデザインは洗練されすぎていて個人的にはあまり好きではありません。初代のi-Macのデザインのようなやんちゃな感じが現在のスマホなどにももっとあっても良いのではないか?などと思います。そんな時は「初代のi-Mac」のデザインをもう一度じっくりと見て「なんであの時代にこのi-Macのデザインがあれほど衝撃を与えたのか?ジョブス率いるAppleのデザインチームは、それ以前のコンピュータのデザインをどう変えたのか?そんな本質的なことを探っていくのも自分たちのデザインの学びになるかと思います。

例えばファッションでもコム・デ・ギャルソンの80年代のパリコレで発表された黒のデザイン、ハサミでわざわざ新品の洋服を切り刻んだコレクション作品は、パリコレに賛否両論を巻き起こしました。パリコレが開催されている間、パリのカフェでは、「切り刻まれた服はゴミでないのか?本当にファッションなのか?」そんな議論がそこかしこで見られた、という事です。

デザインが素晴らしいのもありますが、それだけのインパクトを日本人のアーティストが、ファッション界に与えてしまった、そういう事実だけでも素晴らしい事だと思います。どうでしょう?例えば皆さんが、その当時のギャルソンの服を見たことがなかったとしてもこの話を聞いただけで刺激を受けたり、間接的であろうとも自分のデザイン活動に何かしら、活かせそうな気がしませんか?

そんな風に、実際にその当時のビジュアルで確認できなかったとしても、ひとつのデザインが出来るまでの経緯(プロセス)はもちろん、デザイン史の中に見え隠れする色々な「情報」や「物語」はクリエイターであるあなたを根こそぎ変えてしまう「チカラ」を持っているのです。

今までのデザインの歴史の中には、あなたをデザイナーとして高めてくれる様々なお宝が埋まっているようなものです。少し授業が退屈だからと言って、デザイン史自体を嫌いにならないでください!

そして、例えば20年前のギャルソンの服とそこに秘められた物語(デザインコンセプト)やMacのPCという概念を軽く超えたデザイン、もっと遡ってバウハウス卒業の学生が作った斬新なデザインからあなたも(あなたのお好みで)「お気に入り」を探して調べてみてください。

そしてこんな風に「時代を超えたデザイン群たち」は現在の私達を通り過ぎ(あるいは私達によって少し形を変えつつ)次の時代に繋がっていくのです。

2.「良いデザイン(創作)は受け継がれる」

はい、これはデザインというものに限らず、映画であれ、小説であれ、漫画であれ、過去のコンテンツに感銘を受けた人間がそのエッセンスを自分の作品の中で自分なりに昇華させて「もの作りの道」が続いていく、というお話です。

一体何人のデザイナーが過去のデザインの素晴らしさに触発されて新たな素晴らしいデザインを作り始めた事でしょうか?

先ほどのファッションの世界で言えば、何人のデザイナーがギャルソンの服を見て(あるいはその情報を受け取っただけで)その服を作りだした人間と同じ職業に一生をかけようと決めたのでしょう。一体何人の建築家がコルビジェの建築を見て、そこから触発され、ヒントを得て新しい建築を世に出したのでしょうか?(安藤忠雄なども「コルビジェを含め過去の素晴らしい建築達がこの道に入ったきっかけ」とおっしゃってます)一体何人のグラフィックデザイナーがプロバガンダにまで利用されるくらい強烈な影響力のあったロシアンアヴァンギャルドのポスターに影響されて作品を作ったのでしょうか。

これら、デザインの歴史における「クリエインションの伝承」にに気がつかなければデザイナーとして大きなマイナスでしかありません。基本、今回のメルマガを読んで下さった方達にこの二つだけでも伝われば恩の字だな〜と思って書かせてもらいました。

細々とした年代の正確さとか義務教育的な歴史の勉強方法(暗記法)など当然どうでも良くて

何が何を生み出したのか?何に反対して何が始まったのか?そういう関係性をぱっと理解して、詳しく覚えたりしないで良いので、とっとと自分もその輪に飛び込んでみる事をおススメします。つまりは「点」で捉えずにそれぞれデザインのエポックを結びつけて考えていくと面白くなってきます。

まずはデザインの歴史を学ぶ、、というよりデザインの歴史に囲まれる、デザイン史で遊んでしまえ!くらいに、インターネットがあるのですからわからない点はどんどん調べてみましょう。興味がある作家やデザイン運動をテーマにした展示会等あれば実際に行ってみて「まずは感じてみる」事が大事です。机の上、ネットの中だけで済まさずに体で覚えて、「感じてみる」体験化してみる事も大切だと思います。忘れませんからね、体験って。

では三つ目の

3.時代に調整されるデザイン

について説明しますね。1と全く反対の事のようですが良いデザインは時代に合わせる形でアレンジされたりします。もっと言えばエッセンスは守りながらも新しい時代に合わせ、、作り直される、調整されるのです。

それは多分に「技術的な部分」であったり、その時代の社会全体から創りだされる「気分的な部分」であったりします。

「技術的な部分」が何であるかと言えば、グラフィックデザインにおいてPhotoshopなど、制作ソフトの進歩によって出来る事が増え、10年前では作れなかったビジュアルが世に出たりする、ということです。

もっと言えばプロダクツデザインなどは、20年前には世の中にはなく、現代だからこそ使える素材を使うことで昔にはなかったレベルのデザインのプロダクツが、当たり前のように出来てくるでしょう。物質化できるか否か?という点でプロダクツデザインはテクノロジーの進化と無縁ではいられません。

また明らかにコンピュータグラフィックが発達した今だからこそ出来るグラフィック効果もありますし、現代でしか物理的に作ることができない新しいデザインのジャンルや表現形態もあるはずです。

グラフィックデザインにおいて例えば「タイポグラフィ」というデザイン手法は昔からありますが、60年代と90年代のタイポグラフィは相当違っているわけです。

ブルーノート始めとしてジャズのジャケットに使われたタイポグラフィ、は単色の演奏者の写真と合わせてフォント一文字一文字の位置を変えて動きを出すことに成功したり極端に一つの文字を大きく見せてみたり(下の作品では「J」や「75」を大きく幾何形体のように使ってます)フォントは基本的に文章単位で見せることが当たり前だった時代、それらを日常的に見てきた人達からすればかなり斬新に見えたはずです。

しかし80年代終わりから90年代にPhotoshopを手に入れたグラフィックデザイナー達は分解した文字一文字一文字に更にぼかしを加えたり、回転したり、抽象化したり、フォントと写真を重ねあわせて混ぜあわせてしまったり、とにかくコンピュータがランダムにエレメントを崩すことをでデザイナー自身のコントロールを超えた形にまでして作品を発表しました。

ここから下が90年代のタイポ作品です。

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

どうでしょう、60年代と90年代のタイポグラフィを比べてみてどう感じますか?デザイナーの想いみたいなものはそんなに変わりはしないでしょう。どちらのデザイナーも熱い魂を持ってデザインに臨んでいたんでしょう。

しかしどちらが良いか?という事でなくなんとなくどちらが新しい時代のものか?はわかるはずです。ではどう違うのか?その「新しさの元」は何なのか?なかなか言葉にしづらい部分でしょう。あえて言えばそういうところこそ「その時代らしさ」なのかもしれません。

60年代のタイポグラフィと80年代終わりから90年代にかけてのタイポグラフィの違いの原因の一つには、先に書いたような「デジタル技術の有無」がまずあげられると思います。しかし本質的には双方とも似たような意識で作られている気がします。

「フォントって単なる文字でなくてカタチとしても分解して使えるから凄いクリエイティブなことだよね」60年代のデザイナーも80年代のデザイナーも心に浮かんだコンセプトや発見は非常に似ていると思います。

しかし、本人達も意識していないところで、デザインの姿がテクノロジーの影響等で時代に調整されている部分も確かにあるのです。60年代にその時代のデザイナーが90年代的なタイポグラフィを誰かが思いついてそういう作品を表現しようとしても、90年代の表現技術がない中でのデザインになるから同じものは出来ないでしょう。

つまりは「その時代でしか表現できないデザイン」というものは確かにあるわけです。

その意味でデザインは時代に調整される宿命があるかもしれません。デザインは自由でありながら不自由でもあるわけです。形あるものであるという事は物質的制約も受けます。(だから面白いともいえますが)

時代はそういう技術革新と連動して大きくうねって日々新しく変わっていきます。

そしてそれらに私達は日々囲まれて生きているわけです。ですから何か過去の時代のクリエイションが古く感じてしまう時に、、実は冷静に原因を探ると、「技術」や「テクノロジー」に根ざしていたりすることがあります。

私達が現代の「テクノロジー」や「技術」によって作られたクリエイションを日常的に見続けて目が慣れている中で、過去のクリエイションが古く感じてしまうのもある意味仕方ない事でもあります。物質的な世界に行きている私達はそこから逃げられはしません。

わかりやすいのは映画です。技術革新の波をもろに受ける分野でもあるのでとてもわかりやすく画面に出てしまいます。スターウォーズの一作目と最新作を見比べて見て下さい。。一発でわかります。

ただ、もちろん「技術」だけが要因ではないです。もうひとつ、さっき書いた大きな「時代性」という流行のような気分のような「空気」があります。デザインは時代性というものに、普遍であると同時に影響されたりもします。(やっかいなものですね^^)

そこら辺について敏感になること、時間とデザインの関係性についても、「感じること」もしかしたらデザイン史を学ぶ上でそこの部分が一番大切なことかもしれません。(そういう意味では「学ぶ」という言葉を使わないほうがいいのかもしれませんね)

話を「時代に調整されるデザイン」に戻しますとどれだけ、良いデザインでもやはり時代に合わせ、その時代のデザイナーが、一生懸命、リニューアルしていったりしますね。

例えば明治のチョコレートのパッケージなど、基本的なエッセンスは上手く残しつつも、何十年かに一回は、パッケージデザインが変わっていきます。しかし、変わらない焦げ茶色に対してロゴの色などは、残されていますね。ここら辺を注意深く見て、「時代ごとにデザインがリニューアルされても残っている本質はなにか?」探っていくのも面白いかもしれませんね。

今日はあえて「デザイン史」というある意味、面倒くさい命題をご説明しました。冒頭であげた通り、僕が通っていた美大の授業でも間違いなく一番活気のない授業でした。(笑)年号ばっかりおっかけてしまったらそりゃあつまらなくなりますよね。

でも、繰り返しますが「デザイン史」って本当の意味で「宝の山」なんで「授業が退屈だから学ばない」なんてもったいなさすぎます。

「本当かな〜」と読者の皆様がデザイン史について今一度考えるきっかけにでもなれば、嬉しいです。是非過去のデザインから学ぶ事の意味をもう一度感じて、考えてデザインの歴史の世界にどっぷりと漬かってみてください。

まとめ

最後まで読んで頂いて有り難うございました。

Filed Under: デザイン史

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